6月20日の『直撃!シンソウ坂上』で昭和の大女優大原麗子さんの生き様が語られました。
大原麗子さんが森進一さんとの子供を中絶していたという真実に、浅丘ルリ子さんは衝撃を受けていましたね。
今回は大原麗子さんと渡瀬恒彦さんの馴れ初めや離婚原因、森進一さんとの馴れ初めは離婚原因を調べてみたいと思います。
大原麗子さんの整形失敗や若い頃の画像、孤独死の真相についてはこちら。
大原麗子さんと渡瀬恒彦さんの馴れ初めは?
1970年に公開された大原麗子さん主演映画『三匹の牝蜂』で共演し、おふたりは出会い1973年に結婚しました。
当時大原麗子さんはトップスター。
まだまだ下積み役者だった渡瀬恒彦さんでしたが、『鉄砲玉の美学』や『狂った野獣』でタッグを組んだことのある中島貞夫監督や俳優仲間から
「大原麗子クラスの女優に言うことを聞かせるような、そんな大きな男にならないと!」
と吹き込まれ、アタックしたと言われています。
でも本当は「お互いに一目惚れだった」、と語るのは大原麗子さんの実弟・大原政光さん。
車の中では完全にふたりの世界に入り込み、大原麗子さんを膝に乗せて渡瀬恒彦さんは甘えていた
と結婚当時大原麗子さんの運転手をしていた政光さんは語っています。
いやん、もうラブラブねえ~♪
大原麗子さん、渡瀬恒彦との子供を子宮外妊娠
大原麗子さんは渡瀬恒彦さんとの子供を妊娠しますが、残念ながら子宮外妊娠でした。
子宮外妊娠とは子宮ではなく卵管や卵巣、腹腔内などで着床した妊娠のこと。
多くは卵管妊娠となり、妊娠3か月までに卵管が破裂したり流産となります。
胎児が死亡してしまった大原麗子さんは手術を受けますが、その時の輸血の血を渡瀬恒彦さんは提供しました。
大原麗子さんの心情を思うといたたまれないですが、愛する渡瀬恒彦さんの血で輸血できたことはとても心強かったでしょうね。
大原麗子さんと渡瀬恒彦さんの離婚理由
渡瀬恒彦さんは実父が亡くなると、お母さんを引き取り同居します。
そこで嫁姑問題が勃発。
そして幸か不幸か渡瀬恒彦さんが売れっ子となり、自宅に帰れない日々が重なってしまいます。
ふたりは口喧嘩が絶えなくなり、それが原因で余計自宅を避ける渡瀬恒彦さん…。
大原麗子さんは疑心暗鬼となり、渡瀬恒彦さんの浮気を疑うようになります。
すれ違いが多くなった大原麗子さんと渡瀬恒彦さんは1978年に離婚。
憎みあって別れたわけではないふたり。
渡瀬恒彦さんの傷心は相当で、俳優仲間と飲みに行けば落ち込みながら痛飲していたそうです。
大原麗子さんも離婚後しばらく渡瀬恒彦さんのことを忘れられず、ずっと好きだったとか…。
ちょっとしたことですれ違ってしまい迎えた悲しい結末…。
この時の離婚がなければ、大原麗子さんの孤独死はなかったかもしれません。
大原麗子さんと森進一さんの馴れ初めは?
大原麗子さんと森進一さんの馴れ初め、調べてみたのですがわかりませんでした…(´;ω;`)
デビュー当時から知り合いだったというので、いつからか男女として意識しだしたのかもしれないですね。
母子家庭だった森進一さんは暖かい家族に憧れていました。
おふたりの間で結婚話が出た時、結婚後は家庭に入って欲しいと告げた森進一さん。
しかし大原麗子さんは仕事を続けたい、と結婚観にズレがありました。
森進一さんが「先を考えればいつかは主役を譲らないといけない。それを考えて努力してくれれば結婚できる」と提案すると、大原麗子さんは「努力する」と承諾。
大原麗子さんはいつまでも「女優・大原麗子」でいたかったんですね。
だけど森進一さんのためなら、主役ではなく脇役を演じる、女優を辞めて家庭に入ることを努力すると。
そうしておふたりは1980年6月に結婚しました。
大原麗子さん、森進一さんとの子供を中絶
「家庭に入ることを努力する」と言った大原麗子さんですが、森進一さんとの間にできた子供を「仕事を優先させたい」という理由で堕胎します。
大原麗子さんは誰にも相談せずに堕胎したとか…。
森進一さんが知っていたかはわかりませんが、もし後からこの事実を知ったとしたら大変なショックですよね…。
結婚から2年後に妊娠したというので、1982年、大原麗子さんは36歳で妊娠。
ドラマ出演が決まっていたこともあり、仕事を優先させて中絶を選びました。
大原麗子さんの実弟・政光さんは「この時姉は女を捨てて男(仕事人間)として生きていくと決めた」と語っています。
大原麗子さんと森進一さんの離婚理由
大原麗子さんと暖かい家庭を作るのを夢見ていた森進一さん。
そんな森進一さんを見て、大原麗子さんの実弟・政光さんは
「離婚して他の女性と子供を作ってください」
と頼んだそうです。
大原麗子さんとではいつまでも暖かい家庭を築くことはできない。
それを見ていた政光さんはいたたまれなかったんでしょうね…。
政光さんからのこの申し出の約一年後、大原麗子さんと森進一さんは1984年に離婚しました。
離婚会見で「家庭に男が二人いた」と振り返った大原麗子さん。
仕事に生きる自分は、女ではない男だと語りました。
大原麗子さんの一生を前田忠明さんが執筆。渡瀬恒彦さん、森進一さんとの間にあったことも、詳しく書かれているかもですね。
『炎のように』は2003年に内山理名さんが大原麗子さん役を演じ、スペシャルドラマにもなりました。
ドラマみたい!!と思ったのですが、どの動画配信サイトでも配信されてないよう…残念…。
大原麗子さんの整形失敗や若い頃の画像、孤独死の真相についてはこちら。
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