85年に及ぶ巨人の歴史の中で、ドラフト1位指名を拒否した唯一の人小林秀一さん。
小林秀一さんが巨人から1位指名されたのは1973年。
当時の巨人人気はすさまじいもの。
江川卓さんは同じく1973年のドラフトにて、「慶応に進学するからプロは拒否。でも巨人なら入団」という噂がありました。
(江川卓さんは他球団から1位指名されたため、法政大学(慶応は落ちた)へ進みました)
そんな巨人からのドラフト1位指名を、小林秀一さんはなぜ拒否したのでしょうか?
小林秀一さんが巨人を拒否した理由、現在の職業などの経歴を調べてみたいと思います。
小林秀一さんは柳川事件が原因で巨人を拒否した
柳川事件とは、1961年に起きたプロ野球界と社会人野球界との間に起きたトラブルのことです。
腕のいい社会人野球選手をプロへ引き抜かれると困るので、3月1日から社会人野球日本選手権大会が終了する10月31日まで社会人野球選手をスカウトしないという協定がありました。
しかし1960年の協定で
- プロ野球を退団した選手は退団1年後でなければ社会人野球チームに登録できない
- 社会人野球チームに登録できる人数は1チームに付き3人までに限定する
と社会人野球界が言い出し、プロを退団した選手の死活問題になると考えたプロ野球界が「ちょとそれは…もう少しなんとかお願いしますよ…」と要請するも、社会人野球界は拒否。
これを受けプロ野球界は協定破棄を通告しました。
無協定状態で迎えた1961年のドラフト。
4月20日に中日ドラゴンズが日本生命の柳川福三外野手と契約・入団を発表します。
これに怒った社会人野球界はプロ野球協会との関係を断絶。
プロ野球退団者の社会人野球チーム入りを拒否しました。
また中日ドラゴンズはこの直後にも退部届を出していない高校球児に接触・勧誘を行ったことから、高校野球や大学野球を傘下におく日本学生野球協会も社会人野球協会に同調。
高校や大学でもプロ野球関係者が指導することを禁じました。
なにしてはりますのん…中日さん…。
小林秀一さんは将来、アマチュアの指導者に転身することを望んでいました。
しかし、小林秀一さんが巨人に入団しプロになってしまうと、退団後アマチュアの指導者になることができません。
こういった背景があり、小林秀一さんは巨人からのドラフト1位指名を拒否していたんですね。
ただ小林秀一さんが巨人を拒否したのは、当時の巨人の監督、川上哲治監督との交渉時の一言が決定打となったようです。
小林秀一さんは川上哲治監督の一言で巨人を拒否した
プロ3球団から打診があった小林秀一さんですが、巨人からはあいさつも電話1本もなかったそうです。
それなのにドラフト当日にいきなりの1位指名。
なぜ?天下の巨人軍の1位指名なら、誰でも感激して入団すると思っているのか?
とあまりいい気分はしなかったそうです。
だけど巨人からの1位指名。しかも監督は同じ熊本出身の川上哲治監督…。
小林秀一さんの心は揺れます。
そして川上哲治さんが愛知学院大学に乗り込み、直接入団の説得に入りました。
巨人は君の野球技術を買って1位指名した。ノンプロで野球を続けるんだったら、プロでやるのが本筋というものだろう。
熊谷組に入れば君は会社の仕事もしなくてはならない。かといって会社は君に他の社員と同じような仕事ができると期待してもいない。野球部員として入社するのだから。
だったらプロで真剣に野球に取り組むべきだ。出典:Yahoo!知恵袋
熊谷組に就職が内定していた小林秀一さんに、本気で野球をやるならプロに入れ、と告げたんですね。
「自分は野球オンリーではない生き方を選んだはず。野球を本職にしてはいけない」
川上哲治監督の言葉がきっかけとなり、小林秀一さんは原点に立ち戻り、初心を貫いて熊谷組へと就職。
社会人野球選手として活躍されました。
巨人が小林秀一さんをドラフト1位指名したのは『苦肉の策』だったんだとか。
巨人が欲していた山下大輔さん、江川卓さんが他球団に1位指名されてしまったため、投手補強を目標にしていた巨人は、小林秀一さんを指名。
しかし小林秀一さんの情報が足りず、掛ける声を間違えてしまったんですね。
小林秀一さんのしっかり調査していれば、巨人で快投する小林秀一さんを見ることができたのかもしれません。
小林秀一さんの現在は?
愛知学院大学卒業後、熊谷組に就職した小林秀一さん。
熊谷組には8年間在籍し、社会人チームで大活躍。
その後は母校愛知学院大学の監督に就任。
愛知大学野球リーグにて、15年間で12度の優勝へ導きました。
「監督は巨人に1位指名された投手だったんだ!」と野球部の学生は割りと言うことを聞いていたとか(笑)
指導者としても才能あふれる小林秀一さんでしたが、脳梗塞で倒れ監督を退任。
現在は体育学修士を取得したり、愛知学院大学准教授として活躍されています。
望んでいた『野球オンリーではない生き方』を歩んでいます。
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