志村けんさんが昔お笑いコンビで活躍していたのをご存知ですか?
志村けんさんと言えばドリフターズなので、「え?ピン芸人じゃないの?」「コンビ組んでたのはカトチャンと??」なーんて思っちゃいましたが、調べてみると全然違う方とコンビ組んでいたようです。
コンビ名はマックボンボンで相方のお名前は井山淳さん!
今回は志村けんさんの幻の相方、井山淳さんの現在やコンビ・マックボンボンについて調べてみたいと思います!
志村けんさんの元相方、井山淳さんのプロフィール
名前 井山淳(いやま じゅん) 生年月日 1945年? 出身地 北海道富良野市
井山淳さんの生年月日は定かではないのですが、志村けんさんより5歳年上とのことなので、1945年生まれだと思われます。(志村けんさんは1950年生まれ)
金スマやっと見れました。泣いちゃった。志村さんがドリフ加入前に組んでいたマック・ボンボン。小柳ルミ子ショーや日本テレビ「ギラギラ・ボンボン」に出演とあります。#志村けん #ドリフターズ #マック・ボンボン pic.twitter.com/nhQ44SLsfa
— 昭和の芸能人 有名人 (@shouwanogeinou) April 6, 2019
こちらの記事によると井山淳さんは高校時代柔道をたしなんでおり、大会で優勝するほどの腕前だったとか。
北海道にある信用金庫で働いていましたが、その職を捨て1967年頃いかりや長介さんに弟子入り。
いかりや長介さんやドリフターズの付き人をすること5年、同じくドリフターズの付き人をしていた志村けんさんと「コンビを組みたい」といかりや長介さんに申し出て、許可を得ました。
こうして1972年に井山淳さんと志村けんさんはコンビを組みます。
井山淳さんと志村けんさんのコンビ・マックボンボンとは
1972年にコンビを組んだ井山淳さんと志村けんさん。
結成当初ふたりが考えたコンビ名は『チャーミングコンビ』でしたが、いかりや長介さんに「お前らはチャーミングじゃない」と指摘され『マックボンボン』に改名。
チャーミングコンビもマックボンボンもコンビ名の由来が気になりますね!
マックボンボンは歌手の前座を務めることが多かったようです。
小松みどりさん、小柳ルミ子さん、天地真理さん、いしだあゆみさん、森進一さん、沢田研二さん等々の大物歌手の前座を務めていたというんだから驚きです。
いかりや長介さんの弟子ということで、とても期待されていたんでしょうね。
芸風は井山淳さんのボケに対して、志村けんさんが井山淳さんの顔面に蹴りを入れるというなかなか過激なもの。
今だったら批判が殺到しそうですね(笑)
マックボンボンの芸が見てみたい!と思いましたが、残念ながら動画は見つからず…(´;ω;`)
いかりや長介さんの弟子として鳴り物入りでデビューした井山淳さんと志村けんさんでしたが、人気はいま一つだったようです。
デビューした年の1972年10月に初のレギュラー番組かつMC、コンビ名のついた冠番組『ぎんぎら!ボンボン!』が開始するも、視聴率不振で3か月で打ち切り。
いかりや長介さんはネタのストックが無いのにテレビ出演することに難色を示していたというのだから、その不安が的中してしまったんですね…。
これにショックを受けた井山淳さんは何も言わずに失踪。
当時所属していた渡辺プロダクションは井山淳さんと契約解除し、ドリフターズの付き人からも除名されました。
…ちょ、社会人ーー!!!
そこはちゃんと周りに話してから辞めましょうよ…(;´・ω・)
新生・マックボンボンとは?
井山淳さん失踪後、志村けんさんはドリフターズの付き人をしていた福田正夫さんとコンビを組みます。
しかし、元自衛隊員の福田正夫さんは元々お笑い芸人志向ではなく、「お笑いじゃなくてもやっていける」と公言していたとか。
うーん、それならなぜ付き人になったのでしょう??(;´・ω・)
ネタは志村けんさんが全部考え、その横で福田正夫さんは新聞の求人広告を見ていたというのだからひどい…。
こんなんじゃ志村けんさんもやる気を無くしちゃいますよね。
結局コンビは自然消滅となり、志村けんさんは1973年12月にドリフターズの付き人に復帰。
それにしても志村けんさんは相方に恵まれなかったんですねー。
ただ1974年3月に荒井注さんが脱退し、志村けんさんが付き人復帰後すぐにドリフターズの正式メンバーとなったので、マックボンボンの解散は運命だったのかもしれないですね。
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