登山家の栗城史多さんが5月21日に亡くなったとのニュースが入ってきました。
栗城史多さんは過去何度もエベレスト登頂を挑戦してきましたが、7回失敗。
2018年4月、8回目の挑戦としてネパールへ旅立ちました。
そんな栗城史多さんですが、今朝ベースキャンプでお亡くなりになっているのが発見されました。
栗城史多さんとはどのような人物だったのでしょうか?
栗城史多さんのプロフィール
名前 栗城史多(くりきのぶかず) 生年月日 1982年6月9日 出身地 北海道瀬棚郡今金町
1982年6月9日に北海道で生まれた栗城史多さん。
享年36歳となります。
まだお若いですね…残念でなりません。
栗城史多さんが登山家となったきっかけは、高校の時から付き合っていた『趣味・登山』の2歳年上の彼女に振られたからだそうです。
栗城史多さんが札幌国際大学一年生の時にフラれ、彼女が忘れられず、彼女の趣味を理解したかったからか?山岳部に入ったのがきっかけです。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で登山を行い、その様子をインターネットで生中継していました。
登山とインターネットを結び付けた功績が高く評価され、2010年10月にファウスト大賞を受賞しました。
栗城史多さんのエベレスト挑戦の歴史
①2009年9月、体力の限界により7,950mで敗退。
②2010年8月、7,750mで敗退。この挑戦で栗城隊のシェルパが1人死亡。
③2011年8月、体調不良のため、7,800m地点で食料などを埋めてベースキャンプに戻り体調を整える。
しかし埋めておいた食料をキバシガラスに荒らされたため登頂を断念。
この挑戦で同行スタッフのフリーカメラマン木野広明さんが死亡。死因はくも膜下出血。
④2012年8月、両手・両足・鼻の凍傷により7,700mで敗退。
⑤2015年8月、南東稜ノーマルルートからの登頂を目指したが、サウスコル付近で敗退。
⑥2016年9月、7,400mで敗退。「秋は風と雪が多く条件が難しいので、次回は雪が少ない厳冬期を考えている」と語る。
⑦2017年春、中国側からエベレスト北壁に挑むとしていたが、遠征後半にネパール側に移動するなどルートを二転三転し、最終的に5月29日にネパール側ノーマルルートの6,800m付近で断念。
⑧2018年4月、エベレスト単独登山中にキャンプ2付近で死亡。
栗城史多さんは凍傷で指を失っていた
2012年、4回目のエベレスト登頂は両手・両足・鼻の凍傷によりリタイアとなりました。
その後病院に搬送された栗城史多さんですが、残念ながら右手親指以外の手の指9本を、切断することとなりました。
なんでもナメック星人のように指が再生するのを信じて、豚の睾丸を使用した『魔法の粉』を塗っていたそうです。
しかし指が再生することはなく、残念ながら切断となりました。
この凍傷の理由がiPhoneを操作するために穴あき手袋を使用したことだというので驚きですね…。
生中継を行っていた栗城史多さんですから、iPhone操作はしょうがないことだったのでしょうか…。
栗城史多さんの死因は?
栗城史多さんはどうしてお亡くなりになったのでしょうか?
死因についてはまだ明らかにはなっていません。
栗城史多さんのFacebookには以下の投稿がありました。
どうやら体調が悪かったようですね…。
栗城史多さんは酸素ボンベを使用しない無酸素登頂を行っていたそうなので、酸素不足になったのかもしれません。
もしくはフリーカメラマン木野広明さんと同じく、気圧や気温の変化によるくも膜下出血でしょうか…。
ともあれ、これまでの登山でふたりがお亡くなりになり、自分も指を切断、そして今回帰らぬ人に…。
もう少し用意周到にしておけば…とか指がなく重い機材を抱えて登山を続ける必要があったのか?とか思うことは色々あります。
が、山があったら登る!エベレスト登頂は夢!というのが登山家なのでしょうね。
■追記■
栗城史多さんの所属事務所が正式なコメントを発表いたしました。
下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。出典元:栗城史多公式ブログ
体調不良で歩けなくなり、同行者と離れてしまい…という感じだったのでしょうか…。
AbemaTVが登山の様子を生中継
奇しくも5月21日、16時よりAbemaTVで登山の様子を生中継するそうです。
いったいどんな放送になるのでしょうか…。
■追記■
生放送は中止となりました。
まとめ
今回は5月21日にお亡くなりになった栗城史多さんについてまとめてみました。
仲間が帰らぬ人になっても、指を無くしても続けたエベレスト登頂。
その夢は叶えることができず、栗城史多さんも帰らぬ人となってしまいました。
栗城史多さんのご冥福をお祈りいたします。
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